異界での時間の流れでいうと、狐が来て半日が経った。それからというもの宮の修復は
終り予定より一日後れで終わった。
 もう少し異界に居てもいいかと思って式をつくり天狐の里に送った。内容は、今から向
かいます。
 数分がして先ほど来た銀色の天狐がやってきた。
『ずいぶん早くに終わったようですね』
「俺以外に優秀な術者が何人もいるってことだよ。俺はどうすればいい?」
『私の背にお乗りください』
「いいか?」
 ええ。と頷いたのを見て月夜は天狐の背に乗った。ふかふかの毛皮に鼻をくすぐられて
一つクシャンとくしゃみをした。
『だいじょうぶですか?』
「ああ。かまわない」
 掴まると狐は走り出した。そして物の数秒で天狐の里の正門にたどり着いた。そして、
姿勢を正して門を潜り門番に会釈をして長老の家にたどり着いた。
「月夜です」
「そうか、呼び出してすまなかった。こちらへ」
 一度礼をしてから差されたところに端座すると長老と向き合ってもう一度礼をした。外
見が若くてもこちらは人であちらは神であるのだ。それなりの礼儀を持って対峙するのが
こちらの役割だ。そんな言葉が聞こえそうだ。かつて、彼の父もこのようにこの長老と接
していた事を彼は知らない。
「用件はないのだがな、丁度こちらに来ているようだったからな」
「お呼び頂き光栄です」
 形式どおりの言葉を述べて長老を見る。どう見ても髪が長い三十代半ばの男盛りの男性
だ。その耳は確かに狐耳だがそれすら忘れられるほど男らしい顔つきだ。
 ふと、夕香も年を食ったらこうなるのだろうかと思った。そのときは、自分はいないだ
ろうし、天狐の里にこもっているだろう。
「女人禁制の任務だったようだな。男ばかりで疲れただろう」
「いえ。少なくても学び舎にいっている時よりは疲れませんよ。まあ、蒼華姫を待たせて
いるんでね」
「あ奴が待っているのか」
「ええ。待ってくれてるんです」
 そう確信ができた。トレースのお陰だ。四六時中彼女は自分の事を想っている。そして、
自分も彼女を想っている。それは届いているだろう。そう願いたい。
「思ったより主等の関係は良いようだな」
「羽目は外さないようにしてますがね」
 苦笑の中に隠された言葉に長老も苦笑を返した。肩を竦めるとひょうたんの中身を振っ
て笑みを深くした。月夜は頭を下げて目の前にあった土器の器を取った。
 風が吹いて蔀を一気に上げた。目を向けると長老はひょうたん片手に微笑んでいる。風
使いの天狐は珍しい。澄んだ空気はそう言う意味なのかもしれないとふと思って目を伏せ
た。
 長老は月夜の器に酒を注いで自分のものにも注いだ。開かれた蔀から満月に近い形の月
が見えていた。松が植えられ砂利を敷き詰め薄が三、四本うえられている庭の外に見事な
までの薄野原が広がっている。
 純和風のその部屋と庭を部屋にある灯火が微かに照らしている。
「美しいですね」
「そうだな」
 くいと酒を煽ってふっと笑った。目を細めて溜め息を吐いた。最近忘れていた感動とい
う感情が動いているのを感じた。
「この時期は特にな。冬の月もいいものだがこの時期は」
「重陽の節句ですか?」
「ああ」
 頷いて長老は酒を煽る。月夜は静かに息を吐いて酒に映る月影を見ている。
「どうした?」
「……俺は、白空を殺さなければなりませんか?」
 間を置いて口を開いた月夜は視線を上げた。風が彼の髪を揺らしている。そんな彼を見
て長老は溜め息を漏らしたようだった。
「すいません。ご気分を害したようならば」
「お主の好きなようにやればよい。前はあのような事を言ったが、我々は彼を裁かなけれ
ばならない。捕まえる事だけでも構わないのだ。ただ、我等はあ奴に」
「そちらの事もありますが、こちらにもあるのです。どっちにしたって死は免れません」
 肩を竦めていうと溜め息を吐いた。そして言葉を続ける。
「ですが、蒼華は」
「分かっている。……あれは頭では分かっている。だが」
「感情が許さないのです。あの位置には俺もいけない。ただ独りの肉親ですから」
 恐らく、自分もあの兄がこのようなことになれば殺すことはできないだろう。あの兄が
いたからこそ今の自分はいる。
「肉親とは」
「そのような物です。人は、常に誰かの温もりを求める。彼女は一番甘えたい時に甘えら
れなかった。そのツケが今になって出ているんです。丁度そこに俺がいた。だから、俺に……。
それ以外のこともあるでしょうけど、そのこともあると、自分で思っています」
 寂しげな彼女の横顔を思い出して溜め息をついた。自分もあんな顔をしているのだろう
か。酒を一気に煽って感傷的な気分を消そうとした。
「確かに、姫は、主を深く想っている。主も、姫を想っている。結ばれるのは最早、時間
の問題だろう。だが、我等一族の目は」
「藺藤一族だからですね」
 その言葉に目を伏せて頷いた。その顔は確かに渋っている。
「私自身、藺藤一族だからと言って偏見を抱くつもりはない。だが、中ではそうではない
ものもいるのだ」
「……しょうがないですよ。どうせ俺は本家に入らなければならないし、だからと言って
今更、夕香と別れる気もありません。天狐の血を引いている夕香にはこれから長い時が待
っている。俺にはそんな長いときはありません。……せいぜいあと六十、七十年程度。あ
なた方からすれば、瞬きの間ではありませんか?」
「そうだな」
「俺といたその瞬きの間の間が彼女を余計苦しませても、それは、ただの思い出。根本的
に傷つけていたあなた方の命よりはるかに小さな傷だ。あいつを、あんなになるまで苦し
めさせていたあなた方にあいつを縛る事はしたくない。というのが本音です」
 真剣な顔をして言われた言葉に長老はふっと微笑んだ。
「どうやら、見込み以上の男のようだ。主は。君にならば、蒼華を渡しても構わんな。そ
こまで深く想っているのか……」
 こくりと頷くと酒の器を置いて深く額づいた。それで仮だが、正式に彼女をもらえる。
後は夕香の心次第だ。
 その後の話は他愛のない物だった。酒を飲み杯を酌み交わして前祝のような感じになっ
てしまった。
 そして、月夜が異界から現世に戻ったのは一日たってからだった。


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